2012年07月10日

David T. Works Vol.54


「David T. Walker Japan Website」を更新。
「David T. Works Vol.54」をアップしました!
http://homepage2.nifty.com/ueb/davidt/works54.html
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2012年07月08日

トークセッション


イラストレーター/デザイナーのデニー奥山さんのウェブサイト「酒富デザイン」で、David T. Walkerを話題にトークセッションさせていただきました。

ぜひ、ご一読くださいませ!
http://homepage2.nifty.com/ueb/davidt/index.html
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2012年06月24日

Stuff / Stuff (1976)

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泥臭さと洗練が不思議なくらい両立する音世界は、幾多のセッションで鍛えた手腕が、バンドという形で裏方から表舞台に挑んだ功績もろとも、リスナーだけでなく現場のミュージシャンにも多大な影響を与えた。あえてヴォーカルを排除したインストバンドとしての体裁は、セッションマンとしてのプライドと表現の可能性を追求したチャレンジの証し。緻密ながらもどこかおおらかな香り漂う音世界は、演奏者が目指すアンサンブルの一つの理想型なのかもしれない。「My Sweetness」で聴けるリチャード・ティーのタッチと奏法は、エレピという楽器の持つポテンシャルを一つ上のステージに引き上げる特徴的な音色を編み出したという点を含めて絶品の美しさ。永遠のエレピ奏者という称号は、彼にこそ捧げたい。
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2012年06月05日

R.I.P. Johnny


学生のときはじめて聴いたピンククラウドが、
トリオバンドの面白さを教えてくれた。

生で彼らを見ることができたのは
結局、解散ライヴとなった1994年の武道館。

なんといっても1990年の代々木競技場での
「Brain Massage」ライヴ。
繰り返し繰り返し見たビデオテープは、
見過ぎて見飽きてしばらく時間をおくと、
思い出したように見たくなるカッコよさ。

“うたのうたえるドラマー
 ドラムの叩ける歌い手”

盟友チャーをしてそう言わしめた、

しなやかで小気味良い唄心あふれるグルーヴが、

芯のある引き締まったスティックさばきが、

主役の歌声をやわらかく包むハーモニーが、

熱のこもったハートフルな歌声が、

数いる世界中のリズム強者からでなく受け取れたことを、
そして、
グルーヴのなんたるかを
能書きでなく肌身で感じることができたことを、

誇らしく思った。

こんなふうに音楽を表現できるミュージシャンは
きっとこの人だけなんだ。

ジョニー吉長さん

心よりご冥福をお祈りします。

♪ Pink Cloud "Only For Love"


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2012年06月02日

Ahmad Jamal / Jamalca (1974)

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21th Centuryでの2作目となる本作は、エレピのポテンシャルを最大限引き出した転換期的一枚。前作『'73』に続き参加したリチャード・エヴァンス率いる出過ぎず退き過ぎずのしとやかなストリングス隊の音色は、淡白ながらも深い余韻を残すジャマルのローズと交差することで立体的な構図を演出し、聴き手の焦点移動によって奥行きある音空間を描きだす。女性コーラス隊や管楽器とも優しく調和した「Ghetto Child」は、エレピをフィーチャーしたアンサンブルの見本のような風格ある佇まいで実に美しい。
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2012年05月27日

Morgana King / New Beginnings (1973)

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古今東西の名曲を落ち着きのある表情で歌いこなすクールビューティ。60年代からの盟友トリー・ジトーと、鍵盤参加したボブ・ジェームスとが施す粒立ちの良いアレンジが、腰の据わったジャジーな佇まいの歌声に込めた揺れる感情の行方を一つ残らず映し出す。スティーヴィー・ワンダーの「You Are The Sunshine Of My Life」や、ケニー・ランキンの「Like A Seed」で聴ける、重力ゼロで浮遊するボブ・ジェームスのエレピと、軽快巧妙なソウルフィーリング溢れるデヴィッド・スピノザのギターバッキングが、静かに鼓動する主役の感情を鮮やかにひきたてる。円やかさとピリリとした風景の気配を柔らかに描く音世界の流儀を、エレピの魔法はいつだって示してくれる。

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2012年05月19日

Bob James / One (1974)

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CTIレコードの常連組の一人、ボブ・ジェームスのソロ名義としてはこれが1stアルバム。鍵盤奏者のソロアルバムという体裁以上に、オーケストレーションと管楽器のフィーチャー度が高く、主役のボブ率いる多面的な音楽集団によるトータルアルバムの様相を呈している。後年に続く耳当たりのよいフュージョンテイストもちらほらと覗かせるが、スピリチュアル的色合いも混在しているところに面白さが滲む。ロバータ・フラックの「Feel Like Making Love」のメロウなカヴァーやピリリとしたグルーヴの「Nautilus」を目の当たりにすると、エレピの浮遊感覚と弦楽器の空間性が、相性のよい補完関係であることを痛感。
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2012年04月28日

Larry Willis / Inner Crisis (1974)

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ブラッド・スウェット&ティアーズやヒュー・マセケラとの共演でも知られる鍵盤奏者がグルーヴ・マーチャントに残したソロ作。多くのジャズ系セッションで鍛えられた手腕が、ソウルジャズ的佇まいの香る時代の要請に応える形で発揮された本作は、やはり生粋のピアニスト気質が功を奏したか、はたまた音飾効果としての起用に躊躇があったせいか、特徴的アタック音と空間的反響や広がりが希薄な、生ピアノに近い音色のエレピが特徴的。「Out On The Coast」やアルバムタイトル曲で聴ける深遠な空気感を損ねないエレピの音色は、はからずも主役のラリーが抱く鍵盤楽器への決意表明のように映り、その姿までまるごと含んだグルーヴの粋を体中で受け止めたい一枚だ。
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2012年04月22日

Quincy Jones / Smackwater Jack (1971)

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巨匠クインシーが放つ70年代の幕開けは、オーケストレーションと管楽器隊も惜し気なく揃え、豪華絢爛の面々を適材適所に配置した一大ポップ・ソウル・ジャズ絵巻。キャロル・キングの表題曲カヴァーに始まり、TVドラマ「アイアンサイドのテーマ」のほか、時代の空気をまるごと受け入れ対峙した本領発揮の感ある一枚。ほぼ同時期、時代を席巻したマーヴィン・ゲイの名曲「What's Going On?」のカヴァーは、本家版よりも軽妙なタッチで、深遠なテーマをサントラ的ストーリー展開で綴るクインシーからの回答とも言うべき佇まい。ボブ・ジェームスの軽やかなエレピが、その中核となる風景を鮮やかに彩っている。
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2012年04月16日

Walter Bishop, Jr. / Soul Village (1977)

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60年代までのビ・バップ期からブラックジャズでのスピリチュアルジャズ期を経て迎えた70年代後期のビショップは、時代との折り合いをつける親しみやすさを携えたクロスオーヴァー/ファンク路線を邁進。エッジの効いたスティーヴ・カーンのギターや、ランディ・ブレッカーのトランペットも功を奏し、ほぼ全編に渡って使用されたクッキリとした輪郭のエレピの音色は縦横無尽に空間を彩る。73年リリースの『Keeper Of My Soul』収録の「Soul Village」のセルフカヴァーも緊迫感の中にも時代の変化とともにどこか柔らかな佇まいとなって鎮座。スリルとメロウネスが重なり合う瞬間の醍醐味に、鍵盤奏者の静かなるプライドがそっと滲んでいる。
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2012年04月07日

Jorge Dalto / Chevere (1976)

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アルゼンチン出身の鍵盤奏者の1stソロアルバムは、生ピアノだけでなく、さまざまなキーボードを駆使して紡ぐ色彩感溢れるジャズファンク。「Dolphin Dance」や「Theme In Berlin」などで聴けるメロウなエレピの音色は、重厚ながらもグルーヴ感満載なバーナード・パーディのドラミングと、仄かなラテンテイストとが相まって、ミラクルな魔法と快楽が交差する流暢な言語でアンサンブルを牽引。ジョージ・ベンソンの『Breezin'』での名演をはじめ、主役のホルヘはその後80年代フュージョンシーンでもキャリアを開花するものの、39歳の若さで短くも濃密な生涯を終える。スペイン語で「最高」を意味する本作のタイトルは、今度は僕らが彼に捧げたい言葉だ。
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2012年03月26日

George Benson / Breezin' (1976)

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クロスオーヴァー時代到来の火付け役となった永遠のマスターピース。ボビー・ウォマックの表題曲で聴けるジョージ・ベンソンの艶やかなギターは格別の一言だが、やはりエレピ好きとして避けて通れないのが「Affirmation」で聴けるホルヘ・ダルトのプレイ。同年ソロアルバムもリリースするアルゼンチン出身の鍵盤奏者が紡ぐ音像は、円やかながらもエッジが効いたスリリングなプレイで、クラウス・オガーマン率いるストリングス隊と弾力あるビートが交差する高揚を徐々に加速させる軽快なグルーヴ。スリリングな揺れを体現するジャズファンクはギタリストのソロアルバムとしてだけで語るにはあまりにももったいない豊潤な魅力に溢れている。
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2012年03月18日

Jeff Beck Group / Rough And Ready (1971)

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ロックマインドの中にこれほど鍵盤が似合うのかと思った最初のユニットがこの第二期ジェフ・ベック・グループ。躍動するクライブ・チャーマンのベースや、味わいのあるボブ・テンチの歌声など、主役のジェフのギターだけでなく、一体となったバンドアンサンブルは実にスリリングで躍動感に満ちている。その魅力の一翼を担うマックス・ミドルトンの鍵盤は、もし「マックス・ミドルトン募集!」と記されたメンバー募集の張り紙があったら、まずその想いを共有したいと思わせるほど。「Situation」や「Jody」でみせる軽快なタッチで描かれる輪郭あるエレピの音色は、本作以降彼が残した数多くのセッションで徐々に正体をあらわにしていく。
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2012年03月10日

Patrice Rushen / Prelusion (1974)

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プロデューサーとして起用されたレジー・アンドリュースほか、ジョージ・ボハノン(Trombone)、オスカー・ブラッシャー(Trumpet)、ンドゥグ・チャンスラー(Dr)ら、以降も盟友関係が続く西海岸の強力メンバーを従えたパトリースのこれがソロ1st。歌モノ入りで徐々に洗練されていく70年代後期からのポップなコンテンポラリージャズ色はまだその姿を見せていないものの、若き彼女のポテンシャルをフルスロットルでうかがわせた意欲作だ。中でも彼女のエレピが宙を舞う「Haw-Right Now」は、エレピの音色の持つ魅力を120%引き出したグルーヴ感溢れる一曲。ここで聴けるクールなエレピの音色こそ、いつでも心を熱くするフェイヴァリットなミラクルマテリアル。
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2012年03月01日

Paul Desmond / Bridge Over Troubled Water (1970)

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サイモン&ガーファンクルの楽曲を全編インストカヴァーした、サックス奏者ポール・デスモンドの70年作は、ドン・セベスキーの制作指揮による、リラックスした肌触りと艶やかな風通しのイージーリスニングジャズ的佇まい。だがそこに香る仄かな緊張感は、確かな手腕のプレーヤーたちの静かなる主張のあらわれ。その一翼を担うのが全編ナチュラルに彩られるハービー・ハンコックのエレピ。小気味良いリズムを奏でる「コンドルは飛んで行く」やロン・カーターのベースが柔らかさを演出する「59番街橋の歌」など、ストリングスによる広がりある音空間と調和した「なにも足さない、なにも引かない」的居心地の良さに、うっとり度は120%。


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2012年02月24日

Bobby Womack at BBL Tokyo


バンドメンバーだけの「Breezin'」で幕を開けたステージ。
その後、杖をついて登場し、
舞台中央の椅子に座りうたいはじめたソウルマン。
そりゃ体力的にも年齢的にも、
いろいろあるだろうとちょっと心配になったけど、
序盤早々に、杖を無造作に放り投げ、
メンバーともやりとりを交わし観客もあおり、
ポケットに片手を突っ込みながら、
やんちゃでギラギラとした香りをプンプン漂わせ、
「これがオレの歌だぜ!」とばかりに立ち振る舞い、
あのシャウト、あの節回しで
歌い奏でる姿は紛れもなく、
やっぱりあのソウルマンだった。

総勢11名の大所帯を暗黙に指揮しながら
時折りメンバーをフィーチャーする姿に、
面倒見のいい親分肌の余裕と深みが見え隠れする。
僕が見たステージでは、
最後までギターを手にすることはなかったけど、それは、
同行した若きギタリストの心意気への
「お前に任せたぜ」っていう
期待と激励なんだと受け取ることにした。

それでもやっぱり、
「That's The Way I Feel About Cha」や
「If You Think You're Lonely Now」では、
脳裏にDavid Tの姿が重なり、
ゴスペルフィーリング溢れる女性コーラスとの一体感に、
目の前で繰り広げられる生演奏ならではの高揚が迫った。
ダークにリアレンジされた
「If You Don't Want My Love」のフレーズや、
「A Change Is Gonna Come」の歌い出しの瞬間、
体中をゾクゾクっとした刺激が巡った。
サム・クックだけじゃない。
マーヴィン、オーティス、スライの姿を思い起こさせる
幾つものエッセンスをちりばめ、
「忘れるんじゃねえぞ」とばかりに分かち合おうとする姿に
豪快な親分の、親しき友と師匠への
粋で、ホンの少しセンチメンタルな
揺るぎない眼差しを見た気がした。

どれもが刻印入りの名曲たちを間髪入れずにうたい、
時折り立ち上がって見せる自由奔放なパフォーマンス。
溢れ出るのは涙ではなく
緩んだ頬とともにこみ上げる
胸の高鳴りだったんだ。

ボビー・ウォマック。
さすがのソウルマンだぜ!

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2012年02月23日

バンドサウンドへの挑戦

鈴木茂 / Band Wagon (1975)

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 この顔ジャケがカッコイイと思った。最初の出会いは1985年頃。何かの音楽雑誌に紹介されていたような記憶だ。高校生だった。どんな記事だったかもロクに覚えてない。ただこのジャケット写真の存在感が頭の片隅みに焼き付いた。鈴木茂という名前も、彼がギタリストだということも意識もしなかった。それから10年、90年代半ばに僕は再びこの顔ジャケに出会った。周囲では僕のような後追い世代が、はっぴいえんど〜ティン・パン・アレイの系譜を話題にしていた頃だ。

 バンドサウンドとは何か。思えばそんなことをずっと考えていた。

 1988年。19歳のとき僕は初めてバンドを組んだ。ボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムというオーソドックスな5人組。それぞれの役割をきっちり果たすことができるこの5人という単位がロックバンドの理想的な形だと思った。ここで僕はバンドアンサンブルの楽しさを知った。だがバンドは2年間続いたあと呆気無く解散。次に組んだのはドラム、ベース、ギターの3楽器、ボーカルパートはギターの僕が兼任するというトリオバンドだった。

 なによりファンキーなロックを演りたかった。鍵盤楽器を排除し、ドラム、ベース、ギターという3つの楽器でソリッドでファンキーなテイストを形づくる。これが目標になった。少ない楽器で厚みあるリズムを形作るのが容易でないことは百も承知だった。だがそこにバンドアンサンブルの可能性をみたチャレンジでもあった。過去にないような表現をモノにしたいという意地もあった。

 時が経ち音楽の好みも微妙に変化する。鍵盤楽器の魔力が襲ってきた。マックス・ミドルトンの鍵盤を配した第2期ジェフ・ベック・グループはその一つだった。マックス・ミドルトンが奏でる“ロックバンドのエレピの音色”に僕の心は敏感に反応した。その時僕は明らかに鍵盤楽器を取り入れたバンドアンサンブルに魅せられた。同時にそれは3人というバンド形態へのこだわりが揺らいだ瞬間でもあった。

 そんな時再び出会ったギタリストのソロアルバム、それが鈴木茂の『Band Wagon』だ。時は90年代半ば。最初の出会いからは10年。アルバムがこの世に生を受けてから20年が経ったときようやく手にしたアルバムから聴こえてきた世界は圧倒的なバンドサウンドだった。

 壮絶で痛快。バンドアンサンブルの見本がここに凝縮していた。精緻を尽くした編集感覚ではなくフィジカルな一体感が際立つ音世界。演奏行為そのものが実に痛快に感じる存在感。楽器演奏という表現形態にこだわった彼ならではのアンサンブルのミラクルは、リッチー・ヘイワード(Dr)、ビル・ペイン(Key)のリトル・フィート勢、デイヴィッド・ガリバルディ(Dr)、ドン・グルーシン(Key)といった凄腕らのバックアップが大きく寄与した結晶となってどっしりと佇んでいる。

 その存在感は「はっぴいえんど」とは異なる個性だ。例えば“You are my sunshineでもないが きみは明るい100ワット電球さ”という表現に見て取れる日本的日常を切り取る視線は、日本のロックミュージックの象徴ともいえる語法であり欧米のロック文化との距離を感じるファンタジーのようにも映る。しかし演奏行為によるダイナミズムを表現するミュージシャンたちの素晴らしい技術と知恵と工夫によって、文字通り“多くを語らず”とも圧倒的なアンサンブルでその存在感を残した『Band Wagon』は、ロックという音楽における言葉の意味性がミュージシャンたちの現場レベルでどのような位置を占めていたのかという問いに一つの答えを提示したようにも思える。音と音との直球勝負。起点はすべてここにある。加えて持ち前のメロディ感覚やポップセンスも、演奏というフィジカルな行為で挑む意欲に拍車をかけたのだと思う。結果、遠慮がちに佇む松本隆による詞世界も立体的に交差する音の階層に仕掛けられた罠のように徐々に世界を膨らましていく。

 印象的なのは鍵盤楽器だ。ギタリストのソロアルバムで鍵盤がモノを言うという現実は一見皮肉的にも思えるが、裏を返すと、この形こそ鈴木茂が目指すバンドサウンドの骨格であったという見方もできる。ビル・ペインやドン・グルーシンらによるピアノやエレピがもたらした効果は絶大で、このアルバムの色彩を決定付ける大きなファクターとして機能している。装飾的意味会いもあるが、なにより複雑にシンコペイトするリズム楽器として音空間を縦横無尽に駆け巡る音色が圧巻だ。鈴木茂によるリズムギターとの絡み方、あるいはスライドギターによる流れるようなフレージングを支えるエレピの浮遊感覚も一体となって聴く者を刺激する。ところどころにホーンセクションやストリングスが効果的に挿入されるものの、アルバム中のほとんどを担うバンドサウンドの基本型がドラム、ベース、キーボード、ギター、そしてボーカルという5つのパートであることが、当時の鈴木茂のバンド観であると読み取れるのだ。女性バックコーラスを一切排除したアレンジもその思考の延長線上にあると深読みしたくなる。バンドサウンドのミラクルをシンプルな楽器演奏に求める表現者ならでは発想がここにみえる。鍵盤楽器の意味性を、ギターという楽器でアンサンブルを担う立場から経験的に知り尽くしていた鈴木茂なら当然のことだったのかもしれない。

 この後、鈴木茂は『Band Wagon』で得たダイナミズムを「ハックルバック」というバンドで紆余曲折の末、具現化する。ファンタジーは一つの完成をみたのだ。……Thank You For The Music。

 バンドサウンドとはなにか。その答えをまだ明確に出せずにいる。が、発売から30年を経ている『Band Wagon』を聴くと、答えはここにあるのだと言われているような気がしてならない。“路面電車は浮かんでいくよ 銀河へと”。僕はまたギターを手にとる。微熱少年が描いた世界に想いを馳せながら。


ウエヤマシュウジ
(初稿 2005.05.30 uebpage "Thank You for the Music")


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2012年02月22日

幻とは言わせない

Alice Clark / Akice Clark (1972)

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 アルバムジャケットの中面に3人のモノクロ写真がある。3人とは、本アルバムの主人公アリス・クラーク、オーケストレイションアレンジ担当のアーニー・ウィルキンス、そしてプロデューサーのボブ・シェッドだ。おそらくはレコーディングの途中の打ち合わせ風景なのだろう。うつむき加減に肩を並べ何やら考えている3人の様子を切り取ったその写真を、アルバムジャケット中面のほとんどのスペースに使用するという大胆なレイアウト。レコーディング風景の写真をアルバムジャケットに掲載することはよくあるが、その場合、参加したミュージシャンの写真の数々が彩られることが多い。しかし、ここには他の一切の写真はない。あるのは3人の写真のみ。そしてクレジットもその3人とジャケットデザイナー、エンジニアの名前などが表記されているだけで、参加したミュージシャンの名前は一切ない。

 アリスが唯一残した本アルバムは、今まで「幻の」という冠がつく極めてレアなソウルミュージック・アルバムとして知られていた。昨今のフリーソウル・ブームによって再評価を得て、CD化によって一気にその存在がブレイク。それで初めて耳にしたリスナーが相当数いるものと予想されるその音は、実にソウルフルでポップでジャジーでグルーヴ感に富み、みずみずしいばかりの躍動に満ちあふれている。きらめきを放つ彼女の歌はもちろんのこと、バックの引き締った演奏も見逃せない聴きどころ。ところがそのクレジットが一切記載されてない。一説によるとバーナード・パーディやゴードン・エドワーズ、コーネル・デュプリーといったニューヨークのセッションマンらが多数参加しているという噂だ。同時期にやはりニューヨーク勢をバックに配した、同じMainstream音源のEllerine Hardingのアルバム『Ellerine』がリリースされている点から推測するに、アリスの本アルバムも同じ構成によるセッションだとみるのが有力な説なのだ。

 アルバムジャケットに参加ミュージシャンが記載されていないケースは少なくない。バックの演奏が匿名的であるほうが、主人公であるアーティストをより際立たせることができるというアイデアだ。しかし、その場合でもプロデューサーやアレンジャーの名前くらいは記載されていることが多い。それは、アルバム制作の過程で彼らがそれだけ大きな位置を占めている証拠だが、アルバムジャケットに自らの写真だけを掲載するという例は珍しい。しかも本作ではその写真がかなりの面積を占有したレイアウト。アルバム制作の牽引役である彼らの存在にスポットを当てているという風にも解釈できるが、何か特別な匂いを感じてしまう。ただ、このMainstreamというレコードレーベルの作品の多くは本作と似たようなジャケットワークの傾向があり、クレジット表記を削除するケースも多いという事実は確かにある。この形式に従ったまで、といえばそれまでだが、問題はやはりこの写真だ。この写真がもたらすイメージは、ボブ・シェッドの特別な意志を直感してしまうのだ。

 ボブやアーニーのような牽引役は「アルバムを形作る」という現実では間違いなく必要な存在。アリスの「歌」を「作品」から「商品」へと化す機能を担う彼らは、彼女の「歌」こそがこのアルバムの価値全てだと考えたのかもしれない。音楽編集者としての彼らの器量と裁量は、惚れ込んだ歌の素晴らしさをアルバムという商品にバランス良く調和させるため、バックを務めるミュージシャンを一流どころで揃える。その上でミュージシャンたちの名前を徹底的に伏せ、代わりに自らを前面に出した。

 「3人の打ち合わせ風景写真」は、作品ができあがる過程の一部を切り取った「立ち入る事ができない聖域」のような印象がある。「alice clark」と記されたシンプルなジャケットワークは、余計なものを排除するミニマムな美的感覚の効果も生んだ。音楽そのものとは直接関係のない一つ一つのことが全体としてアルバムの価値を高める策として機能しているようにも見える。バックミュージシャンのブランドに頼らないという匿名性の効果も、リスナーの想像力を掻き立て、彼女の歌やその戦略を形作った「彼ら」の仕事をより際立たせた。「彼らがこのアルバムを作った」という主張を惜し気もなく披露する大胆さは、「たまにはオレたちが登場しても良いだろう。音楽が素晴らしいのは聴けばわかるんだから」という、その行為が彼女の歌のクオリティを損ねてしまうことなど絶対にないという確信的主張の裏返しのようにも見える。

 このようなことを、アリス本人はあまり気にしてなかったはず。彼女はそれがどのような結果になろうとも知らなかったし、全く問題ではなかった。「もっと気の利いたタイトルはなかったのかしら」などと、出来上がったジャケットを眺め、軽く笑みをこぼしながら、自ら針を落とす光景が目に浮かぶ。アルバムから聴こえてくるソウルフィーリングには、「タイトルなんてなんでもいいのよ」と問いかける自由奔放な力強さと繊細さがある。

 シンプルな構成とアートワーク。言葉ではなくアルバムジャケットにさらりと表現した彼女への彼ら流の賛辞。そこに込められた想いが、本作ただ一作で終わってしまったことの善し悪しはともかく、この一作で完結していることによる美しさが、ただならぬ形で凝縮している名盤。歌とそれを支えるバックミュージシャンによって生み出されているという事実の他に、まとめあげた「彼ら」の存在を感じずにはいられないアルバムなのである。……Thank You For The Music。

 「幻の名盤」とは良く言ったもの。しかし決して「幻」ではない。表現される歌や演奏はもちろんのこと、何よりアルバムを彩る「彼ら」の仕事ぶりがそこかしこから実感できるのだ。その象徴が「3人の打ち合わせ風景写真」の起用だとするならば、その功績はリアルなものとして浮かび挙がってくる。決して幻とは言わせない。


ウエヤマシュウジ
(初稿 2002.03.28 uebpage "Thank You for the Music")


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2012年02月21日

全ては処女航海に

Bad Company / Bad Company (1974)

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 決して大長編ではなく、かといって短編でもない、厚さにすると300ページ程度の文庫本。おそらくは文庫本業界における最も文庫本らしい文庫本像を象徴すると思われる「適正サイズ」の文庫本といったものがあるように、本アルバムはロック界における適正サイズを誇る、実にロックらしい肌触りのロックアルバムだ。とにかくこのアルバムは全てにおいてロックなのだ。ロックの持つイメージ。それを最大限に集約し、ロックという虚像と実像を抽出し形成し得た数少ないアルバムなのだ。おいおい、そんな大袈裟なものなのかよ、という声が聞こえてきそうだが、たまには誇張してみてもいいでしょ。ここでいう「ロック」とは、精神的にも肉体的にも様式的にも、多くのリスナーが抱くであろう固有の「イメージ」の話だ。ここで提示される結晶のように凝縮されたロックのイメージとは、それそのものが一つの個性として輝いているものなのだ。

 バッド・カンパニー。日本語訳すると「悪役商会」。はい違います。いや実は半分本気でそう考えていた。海の向こうのロックバンドはさすがに大胆なセンスだなと勝手に思い込んでいた時期もあったのだ(冗談です)。その大胆な発想の主役たちは4人。元フリーのポール・ロジャース(Vo)とサイモン・カーク(Dr)に、元モット・ザ・フープルのミック・ラルフス(G)、そしてキング・クリムゾンのボーカルをつとめたボズ・バレル(B)。そう、バッド・カンパニーはブリティッシュロックの輝かしい遍歴を持つ4人によるスーパーバンドとして華々しくデビューを飾った。しかし、このスーパーバンドによって提示されたシンプルすぎるロックの数々は、当時のリスナーには良くも悪くも予想を裏切られる結果に映ったはずだ。メンバーのバンド遍歴のイメージによる期待感が膨らんだ結果でもある。

 バンド遍歴のからくる期待感。例えば、バッド・カンパニーというと避けて通れないのがフリーである。フリーの延長線上にバッド・カンパニーを位置付ける人も多い。あるいはバッド・カンパニーの前身はフリーである、と捉える流れだ。だがそれは大きな誤解である。ポイントは、フリーというバンドはにはバンドカラーやサウンドを決定付ける大きな要素が少なくとも2つあったということ。ポール・コゾフのギターとアンディ・フレイザーのベースがそれだ。この2つの要素を欠くバンドに、フリーの影響を感じ得ることはない。むしろバンド全体のメインアクトとして機能するポール・ロジャースの存在のほうが大きく関与しており、そこへもって同じ釜の飯を食ったサイモン・カークもくっついてきたために、イメージ的には一見するとフリーのそれと近いものを感じ得てしまうというのが正直なところだろう。実際、それはその通りだと思えるが、このバッド・カンパニーがフリーと異なるベクトルを持つ理由は別の次元のように思えてならない。そのことこそがバッドカンパニーというバンドの特徴的側面であり、このアルバムが名盤の名を欲しいままにする理由なのではないか。

 1曲目「Can't Get Enough」からして名曲。このバンド最大にして最高のヒットとなるこの曲は、アルバム1曲目を飾るに相応しい明快なメロディが、一見脳天気なシャッフルのリズムと合わさることで、最大限のポップフィーリングとヒット性を生み出した顕著な例だ。楽曲単体としてのオーラを放ちどっしり君臨する王道的展開。ミック・ラルフスのギターがまるで歌を奏でるようなメロディアスなフレーズで食い込んでくる。ここにあるのはポール・コゾフがフリーで表現した手法とは180度異なる世界だ。意図的に自らの感情を抑制し、楽曲として存在価値のあるものを作ろうとするミックのギタープレイは、この時代にギタリストに課せられた役割とは逆行する全く別の個性を感じさせる。その余韻が消えぬまま、跳ねながらタメの効いたベースとドラムが印象的な2曲目「Rock Steady」に突入する。ここでのポール・ロジャースはロックフィーリングに溢れた実に素晴らしいシャウトを聴かせる。リズムのずれをアクセントとしたルーズでシャープなカッティングを聴かせるイントロのアイデアをアルバム2曲目に配置したのも全く持ってニクい演出だ。続く3曲目。ミック・ラルフスの華麗ながらも哀しげなピアノで幕を開ける「Ready For Love」が流れる。スローテンポながらアグレッシブなボズ・バレルのベース。ポールのメリハリに富んだ強弱のあるボーカルとミックの奏でる静かながらも力強いピアノの調べ。それを支える重厚かつ王道的なサイモンのドラム。バンドの持つポテンシャルがここで一気に開花したかのような印象を受けるこの曲こそ、バッド・カンパニーというバンドのカラーを最大限に表現した歴史に残る名曲だ。そんな名曲中の名曲がミック・ラルフスのソングライティングであるという点も、このバンドがフリーとは決定的に趣きを異にするバンドであることを物語っている。続く4曲目「Don't Let Me Down」では、途中メル・コリンズのサックスが突如として奏でられ、すぐさまツボを押さえたミックのギターソロが流れてくるあたりが構成力の勝利といったところだ。壮大なスケールを感じさせるこの曲をもってA面は幕を下ろすのである。そう、本アルバムはアナログレコード時代のA面、B面という形式がもたらす、もっともバランスのとれた曲構成を実現しているという点においても、全くもって名盤なのだ。A面を聴き終えた後に残るなんとも表現し難い爽快感。このアルバムを聴く度に感じる不思議な感覚が、自然とレコードをB面へと向かわせる。

 そしてB面1曲目「Bad Company」。バンド名と同じ、そしてアルバム名とも同じタイトルをつけたこのセンスにまず脱帽する。アルバムという衣をまといながら、その衣を編み出したのは衣そのものであるという実に不可思議な印象をもたらす演出。この辺りにアルバム全体を一つの作品として創り出そうとする意思が見えてくる。彼らは単にリアルな音像としてのロックではなく、記録としても記憶としても永遠に残る作品としてのロックを描いた。続く「The Way I Choose」は印象度の低い楽曲だが、ここまでの楽曲の構成とこの曲の持つナチュラルさは聴く者に落ち着きと安堵感をもたらしている。そして突然聴こえてくる16ビートを刻むハイハットとスタッカートの効いたベース音。このイントロだけで三杯は飯が食える「Movin' On」だ。ボーカルパートは完全な8ビートであるにも関わらず、このイントロのおかげで体が存在しないウラの拍子を小刻みに感じとってしまう絶妙のアレンジ。途中繰り広げられるミック・ラルフスのワウペダルを多用したギターソロや、ボズ・バレルのトリッキーなベースプレイも「大したことはやってない」のだが、なぜか実に印象的なのだ。そう「特別なプレイ」は何一つない。にもかかわらず各パートの音が際立ち、強い存在感と印象をもたらす。なぜか。それを解く鍵は、このアルバムが「ロック」という世界の持つダイナミズムや即興性あるいはライブ感覚といった要素を提示しながらも、同時にポピュラーミュージックの大衆性や普遍性を軽く実現するという、相反する2つのベクトルが共存している点にある。むしろバッド・カンパニーというバンドの立脚点は後者にあった。幾多のロックバンドがなし得なかった大衆性を勝ち取ることで、彼らはメジャーシーンで一躍スターダムにのし上がった。そこに見え隠れする確信犯的ともいえる強い意図と意志。それは決してフリーの幻影によるものではなかったはずだ。

 アルバムラストを飾る「Seagull」は、ポール・ロジャースによるギターの弾き語りである。ここで聴ける静かな佇まいは、強く明快に残るメロディとは逆の、それまで持続し続けていた熱を一気に冷却し麻痺させるリフレインが印象的に響く。こうして、本アルバムは静かに幕を閉じるのである。

 バッド・カンパニーはこの後なんと10年間活動を続けていく。しかし、本アルバムを超える作品を彼らはついに作り出すことはできなかった。スター選手が揃った世紀のハードロックバンドは、その前身となるそれぞれの所属したバンドの偉大さを引き連れての船出だったはずだが、結果的には見事にその期待を裏切り、彼らならではの、彼らでしか創り得ない音世界を描いてみせた。本アルバムでの彼らの処女航海はシンプルながらもロックの全体像を表現してしまった。それ以上のものはもはや必要ない。極論だが言い切ってしまおう。このアルバムを聴かずともロックを語り体験することはできる。がしかし、これ一枚を聴けば、ロックの全てをわかり得るというのもまた真なのだ。おそらくリスナーの多くが直感した。この適正サイズのアルバム一枚をもって、彼らの世界は彼らの世界として完結したのだということを。ロックという世界の様々なイメージを見事に表現しきったのだということを。……Thank You For the Music。


ウエヤマシュウジ
(初稿 2001.09.26 uebpage "Thank You for the Music")


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2012年02月20日

はじめました

いまさらですが、はじめました。
はじめましてのご挨拶。どうぞご贔屓に。
こんばんは、音盤話。

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